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 おいでよ!面影荘!! 第1話
 「人ならざるが集う場所」

  
 東京、千代田区。都会という喧騒の只中にあるその場所には、一軒のアパートが経っている。
  都市部という最新の建物が並び、同時に路地裏に入る事で、その街が積み重ねた歴史が露わになるような所に、それは存在している。
  アパートの名は、「面影荘」。一見すれば少しガタの来ていそうな古い建物だ。
  外側から見えるのは、大きく作られた玄関、その隣に位置する中型犬用の小屋には、首輪で繋がれた秋田犬が番をするように座っている。
 路地裏に位置しているその住宅は、付近の住人に訊けば「いつの間にか建っていた」。その程度の認識しかない所だった。
  けれど人は知らない。人間達が住んでいる家のすぐ隣に存在しているこのアパートに住む者達が、一体何者であるのかを。

「春那、1つ相談事があるのだが」
 一階の居間ともいえる、住人がくつろぐためのスペースで、男が切り出した。
 西欧の出と言うように高い身長と、しかし僅かに丸みを帯びて険の取れている顔立ちの男だ。ホワイトシャツの上着と、対照的な濃い茶色のズボンをサスペンダーで留めている、口の端に鋭い犬歯の覗く男。彼は椅子に座り、眼前のテーブル上には好身にしているビール缶が、一本置かれている。
 彼の言葉に反応するのは、日本人と思しき管理人の女性。人の好さそうな笑みを浮かべ、ふわりとした雰囲気と共に振り返った。顔立ちもスタイルもよく、長い黒髪を肩より少し下の部分でまとめた、周囲の男性が振り返りそうな容姿をしている。
「相談事って、どうかしたんですか? ダグラスさん?」
「うむ、吾輩1人で抱えていいか判断が付かないのでな、春那の意見を仰ぎたいのだ」
「・・・何か、あったんですか?」
 そろそろここに住んで2年を迎えるダグラスという男の事は、春那もある程度存じている。それが、1人で判断のつかない問題を抱えている。
 ざわ、と僅かに居間の空気がゆらいだ。
 その変化を過敏に感じ取ったダグラスは、慌ててその懸念を払おうと、少しばかりに大きな声で訂正をかける。
「あぁいや、そこまで大した問題ではない。ここに人を1人、呼びたいと思ってな」
「呼ぶって・・・、お友達を連れてのパーティーなら、気にしなくてもいいんですよ?」
「そうではないのだ。・・・具体的に言うと、吾輩の部屋に一人、シェアで住まわせたいのだ」
「はぁ」
 張りつめている必要は無さそうだ、と考えた春那は、これはもう必要ないなと言わんばかりに険を解いた。
「それは構いませんけど、その人はどんな方で、どういった理由でダグラスさんはここを選んだんですか?」
「うむ・・・。少しばかり懸念もあるのだがなぁ・・・」
 面影荘には10の部屋がある。1階に4つ、2階に6つ。その全ては既に埋まっており、新たな住人を迎えるならルームシェアを行うしか手は無い。
 だからこそダグラスはシェアで、とあらかじめの宣言をしたのだろう。
 春那は少しだけ考えを巡らせ、新しい住人を想像する。
(ダグラスさんの部屋に入るという事は、恐らくウチの事は聞かされているか・・・、もしくはお仲間でしょうね。種族に関しては・・・、きりが無いので置いておきましょうか。ですがその前に・・・)
 ダグラスがいざ口を開けようとしていたビール缶を取り上げ、春那は微笑む。ちゃんと素面で話しなさい、と言葉ではなく笑顔で伝えて。
「あ・・・、む・・・、そ、そうだな・・・」
 相談事を持ちかけたダグラスの口から語られるまで、わずかな時間があれど、それでもきちんと言葉にして告げさせた。

 * * *

 場所は変わる。
「はぁ・・・」
 ラーメン屋「天地(あまち)」。準備中の看板を掲げた店内の厨房で、1人の女性がため息をついていた。年のころは25程だろうか、動きやすい服装の上に割烹着を羽織り、長めの髪は根元で一つにくくられている。
 大きな寸胴鍋の中に、鶏ガラをメインとしたスープを作っている最中。本来はもっと気を入れて行わなければならない筈の行動なのだが、ため息は止まらない。
「家、どうしましょう・・・」
 思い起こすのは先日の事。
 23時に店を閉め、片付けもそこそこに終わらせて、いざ家で寝ようと思い帰途についていた時、静寂を切り裂くようにサイレンが鳴った。
 危急の音が向かう先から彼女の鼻に届いたのは、嗅ぎたくもない臭い。その途端に嫌な予感が背筋を走り、疲れた体を押して走った。
 近づく毎に増える人と、夜の中で光る炎。
 彼女の寝床としていたアパートが、燃えていたのだ。
「はぁ・・・」
 思い返すたびにため息が出る。
 消防士の動きが早く確かであったため、幸いにして人死になどは出ずにいたが、建物はほぼ燃えていた。家の中に置いてあった物も同様に。
 理解している、自分だけが辛い訳ではないのだ。むしろ家族がいる分、他の人たちの方が苦労は多い。燃えてしまった家具、道具、思い出の品、住んでいた家と、そこで過ごした記憶。
 それらはすべて戻るものではない。家が直ったところで、それはもう別物だ。そして自分がいくら考えた所で、他人からの憐みの視線、同情でしかない。本人たちの心の中にできた穴は、他人の言葉では完全に埋めようがないのだ。
「問題は自分、なんですよねぇ・・・」
 それよりそう、いま彼女が抱えなければいけないのは、自分の問題だ。
 仕方なしにコンビニで替えの下着を買って店に戻り、お湯を使って体を拭いて着替え、今日着ていた服はコインランドリーで洗濯した。洗浄から乾燥まで一時間近く下着姿だけだった為、他の人に見つかりはしないかと冷や冷やしたが、杞憂に終わった事は本当にありがたかった。
 寝る所ならここを使えばいいが、風呂は本当に悩ましい。仕事が終わるまで営業してくれる銭湯なら、24時間営業のスーパー銭湯くらいになるだろう。
 通帳や印鑑は“もしや”を考えて常に手元にあった事、そして私物が着替えだけと極端に少ないのが幸いした。
 新しい家が見つかるまでは、どうしたものか。できれば今まで住んでいた場所のような、家具付きの所がいい。
 悩み事を続けながらも、長く続けた作業の手は止まらずに、寸動鍋の表面に浮かんだ灰汁を掬い取り、流しに落とす。ひとしきりそれが終わった後、蓋を置いて、また溜息が出た。
「はぁ・・・。・・・あら?」
 気付いたのは、携帯電話が着信のメロディを鳴らしたこと。画面に映る名前は、しばらく前から通い詰めてくれる上客の物だった。
「あの、もしもし? ダグラスさん?」
『あぁ吾輩だ。今はどこにいる』
「お店です。夜の仕込みをしていた所ですけど、どうしたんですか?」
『喜べ、うちの管理人の許可が取れたぞ』
「・・・は? えぇと、あの?」
 彼女はいきなりの事に、少し困惑していた。彼はいきなり何を言い出したのだろうか。
 許可? 管理人? どこの、どんな?
『おっと急ぎすぎたな。焼けた部屋の代わりだが、どうにか工面できそうだ』
「あ、そういう事でしたか・・・」
 そこまで言われ、ようやく合点がいった。ダグラスはこうして動けない自分の代わりに、部屋を見つけようとしてくれていたのだと。
「わざわざありがとうございます、助かりました」
『何、普段は吾輩の方が食の面で世話になっているのだからな。これ位は返さねばなるまいよ』
「それでも、私が本来やるべき事でしたのに、代わりにやってくれたんです。感謝させてください」
『ならば受け取っておこう。吾輩の部屋をシェアする形になるが、我慢してくれ』
「・・・はえ?」
 瞬間に、ポカンと彼女の頭の中から何かが抜けた。今彼は何を言ったのだろう。
『他に部屋が空いていなかったのだ、仕方あるまい』
「・・・、は、はぁ。・・・私、いろいろ大丈夫なんでしょうか」
『恩を仇で返すような事はせん。吾輩を信じろ』
 多分、電話口の向こうでは真剣な表情をしているのだろう。そうして懸念を払おうとしてくれる相手だと、彼女はダグラスとの短い付き合いながらも、ある程度解っていた。
『寝床はきちんと別にするよう、春那にも言われたからな。・・・そちらが良いのなら、同じ寝床でも構わんのだが』
「棺桶の中で眠る気はありませんからね・・・?」
 いきなり表情を変えた言葉に、そう返すのが今は精々だった。

 * * *

「はいどうぞ、知合い伝手に纏めてきた、目撃情報よ」
「サンキュー朝香さん。・・・にしても、ずいぶんと多いな」
 行きつけにしている、ある甘味処。食事をする為の座席に、金髪と茶髪、2人の女性が向かい合って座っている。間に挟まれたテーブルには、抹茶が二杯、わらび餅とあんみつが一皿ずつ。そして30枚はあろうかという、紙の束。
 あんみつを頼んでいた茶髪の女性は眼鏡をかけており、なおかつ小柄でくせ毛だ。室内だというのに白いコートを脱がず、しかし押し上げられた布地はその中に確かな膨らみを持っている。
 反対側に座るわらび餅を頼んだ金髪の女性は、反対と言わんばかりの容姿をしている。高めの身長に、伸びればまっすぐになるだろう髪と、碧い瞳。スタイルは主張し過ぎず無さすぎず、バランスが良く整えられている。敢えて不思議な所を上げるとするなら、作務衣を何の違和感も無く着こなしているところだろうか。
 茶髪の女性は、あんこの乗った白玉団子を口に運びながら資料の山を切り崩しにかかる。そこに書かれている情報をつぶさに眺め、ふにふにと柔らかな団子と共に咀嚼し、記憶している。
「そこに書かれた情報にある限りでは、現在明確な被害はまだ出ていないわ。どれもこれも、変質者が起こしたと言って良いレベルの事件ばかりよ」
 資料を持ってきた金髪の女性、朝香は抹茶を一口含みながら告げていく。渡すにあたり、自分もしっかり読み込んだから、今では空で言える程に記憶しているのだ。
「あぁ確かに・・・、何がしたいんだ、コイツは?」
 ぺら、ぺらと資料の束を切り崩していく茶髪の女性は、考えながらも手は止めない。
「被害者は全員女性、時刻はいずれも日暮れから深夜0時までにかけて・・・? それ以降には全然出てないのか?」
「みたいね。本格的に動き出す時間に現れてないからこそ、急を要する案件だと思われてないんでしょう。注目度も低いみたいよ」
 10枚ほど読み込んだ後、茶髪の女性はスプーンを噛んで、牙を見せるかのようににやりと笑った。
「だからこそ、大事になる前に片付けられる。違うか? 朝香さん」
「そうね、だからこそ気を付けなければならないの。そこは解ってるでしょう? 荒零さん」
 荒零と呼ばれた茶髪の女性は、確かに、と一言頷いてから、皿の中にある賽の目状の寒天を口にする。
「んじゃさ、こっちと新しい入居者と・・・、どっちからやる?」
「そりゃダグラスくんが呼んだ人の方からでしょ。私たちが居ないと、手が足りなくなるしね」
「そこまででもねぇと思うんだけどな。さっさと潰しに行けばこれ以上被害も出なくなるしさ」
「それもまた確かに。でもね荒零さん、資料の相手がここまで落ち着いているのならばこそ、今日明日に、と無理に狙う必要も無いんじゃない? 言うでしょう、急いては事を仕損じる、と」
「んー、あー、・・・、まぁ、確かになぁ・・・、そうだけどなぁ・・・」
 諭すような朝香の言葉には、納得いかないといった様子で、荒零は頭を掻きむしる。小さくため息を吐くと、仕方なしに懸念を切り出す。
「それに、ダグラスくんが1人で何かすると思う?」
 ぴたりと、荒零の手が止まった。思考をわずかに数秒行った後、悩んでいた時より苦々しい顔を上げて、荒零は自らの頭の中に出た結論を言葉にした。
「ねぇな・・・。多分日が高いから、とか言って昼寝ぶっこいてるぜ?」
「でしょう? だからこそ、私たちがせっついてあげないといけないのよ」
 互いに抹茶を、また一口。程よい熱さを持った液体は、苦みと渋み、ほのかな甘みを2人の舌に与えた。
 そして、これは飲み込んだ抹茶の分、とでも言いたげに大きなため息を一つ吐いて、荒零は思考を切り替えた。
「・・・しゃーねぇな、ダグラス起こしに行ってくるか」
「そうしましょう。私はシンシアさんと一緒に、部屋の掃除をしておくわ」
「頼むわ、朝香さん」
 今日の行動方針は決めた。そこに移る為に、まず2人がしなければいけない事。それは目の前の甘味を、きちんと味わう事だった。

 * * *

 薄暗い倉庫の中、バシンッ!バシンッ!と、打音が響く。
 内側の柱や鉄骨などに赤錆の浮いた、いかにも“使われていない”と言った場所の中央に、半裸に向かれた20代前半と思しき男が、まるで拷問のように殴られている。一撃ごとに、猿轡を噛まされた口から悲鳴が上がり、倉庫の中に響き渡る。
 殴打しているのは女性だ。肩にかかる位の薄い色の髪をした、幼さの残る笑顔の無邪気そうな女性。まるでそれ自体が楽しい行為であるように、手にしたブラックジャックで男の体を何度も叩き付けている。
「ふぅ! ねぇキラ、叩くの終わったよ! えぇと・・・、人数分だったから64回、だよね!」
「そうですよステラ、打音はきちんと64回です。偉いですね」
「えへへー!」
 ステラと呼ばれた女性は唐突に振り返り、奥のテーブルに置かれたポータブルPCのキーボードを叩いている男の方に向き直る。
 キラと呼ばれた男は、細身の、だけど高身長の体を起こして振り返り、背丈に似合わぬ中性的な表情で微笑みながら、ステラの頭をそっと撫でる。
「・・・さて、体は痛むでしょうけど、まだ意識はありますね? それでしたら、こちらを見てください」
 椅子に縛り付けられている男の方へキラが向き直ると、先ほどまで捜査していたPCの画面を、男に見せる。
 そこに写っていたのはネット銀行の口座、そして残高だ。痛む体と、茫洋とする頭で画面を見て、それを認識した瞬間に大きく目を見開いた。
 残高は既にゼロ。憶えのない時間に引き出され、既に一銭も残っていない。
「そうです、お解りでしょうが、これはあなたの銀行口座です。ハッキングさせてもらいましたよ」
 事実だけを淡々と、しかし好青年じみた声音で告げるキラは、目の前で呻いている男を見て、内心で悦ぶ。チリチリと走る電流が、求められていた事をしていると認識して。
「柄崎郡司さん。あなたが何をされているのか、もうご存知でしょう? そう、これは復讐です」
「キミが今までしてきた、えーと、“お友達との遊び”がね、とっても辛かった人たちが何人もいるんだって」
「複数人での暴力だけに留まらず、総額で500万を超える恐喝に、車いすに乗せて階段から落としたという事故や、家族を攻撃するぞと脅し当たり屋をしろ、と言われ轢かれた人もいますし、火のついたタバコで目を焼かれたという人もいます。複数人で暴行した女性は20人はいます。
 それがすべて、貴方にとっては“遊び”なんですよね?」
 柄崎郡司と呼ばれた男は恐怖していた。有り体に言えば、心当たりがあり過ぎたのだ。憶えている限りで60人くらいだったかは“遊んで”やり、未だ病院から出て来れない奴もいる。当然やり過ぎないようにはしていたが、それでもここまで出来たのは、外側からは「自分がやりました」という証言などを消していたからだ。
「でもね? “遊び”って、お互いが楽しくなきゃいけないと思うの。キミ1人だけが楽しんでるって、それって本当に遊びなのかな?」
 ステラはじっと、郡司の目を見開かせる。細い筈の手は異常なまでに強く、閉じることなど許さないとばかりに瞼を広げさせ、眼球が動こうとすぐに視線を合わせ、じぃと見つめてくる。
「頼んできた皆は、嫌だったんだって。でももう、キミのおかげで何もできなくなっちゃったから、ステラ達にお願いしてきたの」
「もうお解りですね、柄崎郡司さん? 他人で“遊んで”いた貴方が、今度は“遊ばれる”側になっていることを」
 これから何をされるのか。その恐怖に郡司の顔が引きつる。
 しかし2人は何もせずにくるりと踵を返し、外に出て行こうとする。扉の前に着いた途端、キラがまた向き直り、郡司へと声をかけた。
「まずは一晩放置させてもらいますから。良くやったでしょう? 身包み剥がして後は知らぬ存ぜぬを。倉庫内ですから、見つかる事は無いでしょう。そこだけはご安心下さい。
 水は上に設置した袋から定期的に落ちてきますので、欲しかったら飲んでください。猿轡越しですけどね」
「あ、椅子から逃げようとしても無駄だよ。椅子の根元も、紐の結び目も、がっちり固めてあるもん。1トン位の力がなきゃ動かせないからね」
 助言のような、絶望への宣言のような言葉を渡しながら、2人は倉庫の中から出ていく。
「それじゃあステラは、瑠々さんと合流して買い物をお願いします。代金はダグラスさんが出すそうです」
「そうなんだ! キラはこの後どうするの?」
「自分は貰い物の冷蔵庫の修理をする為に、一度戻ります。1人でちゃんと戻れますね?」
「うん!もちろんだよ!」
 郡司にした事などどこ吹く風、と言わんばかりの仲の良い会話を交わしながら、轟音と共に戸が閉められ、倉庫内は暗闇に包まれた。

 * * *

 高校にて。担任のショートホームルームが終わり、放課後を満喫するために生徒が各々の行動を始める時間帯。
 その一角にて、一人の少女が大きく伸びをしていた。
 ほっそりとしたまだ発展途上の、しかし健康的な肉体美を持ち、ツーサイドアップにした髪型が、伸びの動きと同時に“ふさっ”と揺れる。
「んあ~・・・っ! 今日も終わったぁ~!」
 伸びと同時に息を吐き出し、開かれた口からは少しだけ大きな八重歯が見える。
 凝った肩を伸ばし終えて、はぅ、と漏れた息を吐き切りながら、少女は携帯を覗く。いつの間にかLINEには大量の通知が入ってきている。
「えぇと・・・、・・・えぇー・・・、ちょっと待ってよ・・・」
 内容を確認すると、困惑と同時と素直な感想が口を突いて出る。おまけに脱力感が一挙に襲ってきて、机の上に突っ伏しながら、今この場にいない相手へ向けての怒りが出てくる。
「何考えてんのダグラスったら! あぁもぅ、どうしようかなホントに・・・」
「お、瑠々っちどしたの、悩み事でもできた?」
「用事も一緒に出来ちゃったよ、しかも今しがた。ごめんねみたむー・・・」
「あちゃー、そいつぁしょうがない」
 様子を見かねて声をかけてきた級友に、机に突っ伏した少女・瑠々は謝る。心なしか、アップにした髪型がへにゃりと膨らみを無くしたような気がする。
 みたむーと呼ばれた少女、三田村文月は、残念そうな表情を一瞬だけ、しかしすぐに気を取り直して笑顔を作り、瑠々に話しかける。
「真仁っちも“お友達”と会う約束があるって言ってたし、スイパラはまた今度かな?」
「うぁーん行きたかったぁー・・・! タルトー、ケーキぃー、ムースにアイスぅ・・・」
「まぁまぁ瑠々っち。メニュー替わる前に予定合わせて、今度こそ行こうよ」
「行く! 絶対行く! ちゃんとまひーも一緒だよ、みたむー!」
 がば!と膝を伸ばした勢いで椅子を蹴倒しながら、瑠々は文月に食いつかんばかりに、肩に手をかけた。
「はいはい落ち着けー。まずは予定を合わせる事からね。後でLINEするよ」
「うん、待ってるよ! それじゃみたむー、また明日ね!」
「おう、また明日ー」
 椅子を元の場所に戻し、鞄を手に取って、瑠々は廊下へ向けて駆け出していった。
 いつも生活指導の教師から「廊下は走るな」と言われていても、どうにも気が急いてしまう。今日来た内容もそうだが、3人揃って遊びに出かける予定がいつになるのか。考えれば考えるほど、楽しみになる。
「よっ、と、ほっ!」
 踊り場で折り返す形の、合計14段の階段を3歩で駆け下りる。制服のスカートが翻りそうになるが慣れた物で、中が見える前にきちんと手で押さえ、乙女の秘密は隠す。
 2階から1階への階段も同様に3歩で下りて、校舎の玄関へと走る。リノリウムの床にゴム底の上履きでブレーキをかけた瞬間の、甲高い摩擦音は嫌になるが、徐々にスピードを落とす事に比べると、後者の方がなんとなく嫌なのだ。
 上履きから外履きのスニーカーに替えて、駆ける脚は止めずに学校を出ていく。勿論、クラスメートとすれ違う時は少しだけ速度を落として別れの挨拶をし、また走る。
「あーもうダグラスってば、何考えてるんだか!」
 走りながらも考えるのは、一言でまとめれば“これ”なのだ。
 部屋の埋まってる面影荘に人を住まわせるのは、少しばかりもにょもにょするがまぁ良い。けれどそれが「ダグラスの部屋に、一緒に女性が入る」となると、結構な勢いで考えを疑ってしまう。
 ただでさえ煙に巻くような行動で自分を弄ってくるのだ、普段から解らないダグラスの考えが、これに輪をかけて解らなくなってくる。
「いっぺん本気で噛んでみようかなッ、と!」
 人気も人目も感じない、面影荘に続く道にある交差点。青色の信号灯が光る横断歩道をひと跳びで越しながら、瑠々は面影荘への家路を急ぐ。
 早い所買い物をしておかないと、新しい人の歓迎会の準備に間に合わないからだ。

 * * *

 浜地家、という家がある。夫は証券会社のサラリーマンで、ほとんど家を空けている。帰ってくるのは日付が変わってからが大半だ。妻はそんな夫の居ぬ間に羽を伸ばすと称して友人達と4人で小旅行中。
 そんなもぬけの殻の家では、動く者が1人いる。水玉のワンピースを着て、上に仕事用のエプロンを掛けており、赤毛を左右異なる長さでの三つ編みを結んだ、少女のような、しかし人形のような雰囲気を持った女性が、掃除をしている。
 彼女の名はシンシア。ハウスキーパーとして、家の掃除と、浜地家の主の為の食事の準備をする為にここに来ていた。
「・・・冷え切っていますね、この家は」
 ろくに掃除のされていない家からは、埃がはらはらと舞い落ちてくる。勿論それを吸い込まないように、口元には布を巻きつけている。
 掃除の基本は上から下へ。上にたまっている埃を放置して下を掃除しても、上に溜った埃を後回しにすれば、床の掃除は二度手間になるのだ。
 逆に言えば、そうなってしまうまでにここはろくな掃除をされていない訳だ。
「その分、やり甲斐があります」
 無表情な栗色の瞳の中に、ギラリと光るものが見えたような気がした。
 ぱたぱた、と表現するのがふさわしいような軽い足音を何度も立てながら、寝室から居間、風呂場にトイレ、玄関に靴箱、余す所なく掃除を行っていく。
 掃除が終わってからは、買ってきた食材を用いて料理の準備。
 材料費やガス・水道代は依頼者が持つとはいえ、あまり時間やお金をかける訳にはいかない。煮物を作る時は適度に煮込んだところで蓋をし、最後は余熱で調理。汁ものは冷やしてもそのまま食べられるものにし、レンジで作れる容器を使って茹でたパスタを使いサラダも作る。ご飯は炊飯開始までにタイマーを、大凡家の主が帰ってくる時間に炊き上がる時間を指定。
 全てを終え、最後の冷蔵庫の扉をバタンと閉めて、シンシアは自慢げに胸を張った。
「これで本日分の仕事はおしまいです。事務所に報告して、マスターの所に戻りましょう」
 エプロンを脱ぎ、外に出る為のパーカーを羽織る。借りていた合鍵を使い施錠して、事務所への歩を進めていく。
 交差点にて信号待ちをしている時に、ふと携帯が着信音を鳴らし始めた。画面に映る人物の名前を見て、シンシアは一にも二にも無く電話を取る。
「もしもしマスター、シンシアです」
『あぁ我だ、そちらの状況はどうだ?』
 電話越しに聞こえてくる“マスター”は、声音から自らの尊大さを示すような気配がする。しかしそれに一切臆する事は無く、シンシアは自らの主の問いにしかと答える。
「既に仕事を終えて、終了の報告をするだけです」
『なるほど、手早く終えたものだ。流石だな』
「お褒めに与り光栄です」
 相手が眼前にいないというのに、シンシアは深くお辞儀をする。歩行者用横断歩道は既に赤いランプが光り、緑の光が灯ったのを確認した車が通っていく。
『今日は一つ頼みたいことがある、心して聞け』
「何なりと、仰ってください」
 従順に傅く従者のような言葉に、電話越しの“マスター”が鷹揚に、しかし満足げに頷きながら、内容を切り出した。
『本日、101号室にもう1人住人が増えるそうだ』
「なるほど、あそこですか」
『他者を迎えるというのに、あのままでは格好がつくまい。早く戻って掃除を行え』
 シンシアの記憶に残る限り、あの部屋を一言で表すなら一言だ。
 「汚い」。
 普段は地下室で寝ており、日がな一日外へ遊びに行くダグラスは、寝に戻る事さえほとんどしていない。ルームシェアを行うのなら、確かにあのままで良い筈が無いだろう。
「かしこまりました。自分一人で行えばよろしいのですか?」
『いや、朝香も手伝うとの事だ。2人でやれば早かろう』
「仰る通りで。では即時取り掛からせていただきます」
『頼むぞ。我はもう少し店の方にいる、必要ならば声を掛けろ』
「承知しました」
 そうしてもう一度深く礼をし、それに合わせて“マスター”は応える。
『ではな、シンシア』
 その言葉を最後に電話は切れて、シンシアも顔を上げる。
「・・・・・・・・・・・・、なんだか、むずむずします」
 頬の辺りの肉が、どうにも落ち着かない。気を抜けば釣り上がってしまいそうな、何かの高揚感がある。普段は一目置いた存在でなければ名前を呼ばない“マスター”が、呼んでくれた。
 何度か赤へと変わっていた信号が再び青い光を灯すと、シンシアは歩調を早めて歩き出す。この不思議な感覚に身を任せるままに、ぱたぱたと小さな足音を立てて、面影荘へと向かっていった。

 * * *

「・・・・・・」
 市役所のロビーにて、男が待たされている。
 紺のカーゴパンツに、緑のラインが入った白のジャケット。首元にはゴーグルをかけた、僅かに青みがかった黒髪の男だ。まだ学生のようで、伸長は同年代の平均的、顔は良すぎる訳ではないが悪い訳でもない。まぁ、受けはそれなりだろう。
「・・・あんか、時間掛かり過ぎじゃねぇ・・・?」
 待ち続けて30分。口元が手持無沙汰になり、一杯80円の紙カップコーヒーを飲みながら呟く。
 住民票の写しを貰うのなら、用紙の記入も含めて10分もかからないだろう。だが今回やる事は、本人の代行という事で、転居届を出しに来たのだ。それも、1人で。
 一応印鑑などは借りてるし、サインも必要なものは予め貰っている。とはいえ、これでできるとは正直思っていない。
 日が落ちてきている現在、あまり時間をかけすぎると、同じ家に住んでいる彼女に心配をかけてしまわないか不安になる。
「・・・・・・はぁ・・・」
 すっかり重く圧し掛かるようになってきた責任を感じながら、最後の一口を飲み干すと同時に、ベルが鳴った。
『大変、お待たせしました。459番のカードをお持ちの方は、66番窓口へどうぞ』
 呼ばれた番号は、自分が取ったカードの番号。案内された窓口に向かおうとするも、一見して66番窓口というものは見当たらない。
「仕方ねぇか・・・」
 目元に力を入れる。今まで見えてなかった男の視界の中に、うっすらと床に「→66番窓口」という文字が見える。向かう先はあそこで良いはずだ。
 すでに一度通された窓口であり、行先は解っていたけれど、前と行き方が異なっている。
 定められた階段を使って、3階へ一度上がり、直後に踵を返して2階へ降り、違う階段でまた3階、外の非常階段を使い1階に降りて、渡り廊下を使って別棟へ。そこの受け付けで案内を聞いて、その棟の存在しない4階へ階段を3段とばしで止まる間もなく駆け上がり、そこから遥か下に続くポールを掴んで滑り落ちる。3階、2階、1階、地下1、2、3・・・。
 手が擦り切れそうな高さを滑り降り、そこまでやって、66番窓口へとようやくたどり着いた。
 張り付いたような笑みを浮かべたスーツ姿の男が手招きをしており、男はそこに座る。
 す、と番号カードを差し出して、
「面影荘所在地の現管理人、石神晃太です。蓮華道辺見さんの転居届を、代理で出しに来ました」
「はい、承っております。では書類と、忌乃の家の方でしたらお持ちの物をお出しください」
 仮面のような笑みのまま、感情の籠らない事務的な言葉で、スーツ姿の男は促してくる。
 晃太はズボンのポケットを探り、折りたたまれた紙を広げる。そこは辺見の名前が書かれ、実印の押された転居届が広げられる。
「書類がこっちで・・・、それと、これですね」
 ベルトのバックルに隠してある、人間と人外の間を取り持つ、互いの緩衝材となる役割を持つ者達が所持している、特殊な委任証を見せる。日本の48都道府県に必ず一軒は存在している者達の証明でもある。
「はい、証明を確認しました。書類を受理しますので、またしばらくお待ちください」
「あ、はい、解りました。・・・あんまり長くなりませんよね?」
「それはもう。表側に反映させるだけですから、さほど時間はかかりませんよ」
「・・・そですか」
 また30分以上待たされるのでは、と考えての問いかけは、今度は意外とあっさりしていた。
 これで心配かけずに済みそうだ、と考えながら椅子の背もたれに体を預けると、携帯が何かを告げるように、僅かに振動をした。
「・・・ん?」
 気になって画面を開くと、そこには104号室の住人からのLINE。内容を確かめてみると、
「こりゃまたちょっと、帰るの遅くなりそうだな・・・。連絡入れておかないと・・・」
 もう一度、腹からため息が溢れ出してきた。

​ 2話へ続く。

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